安全と安心
Zoomにてオンライン開催
参加者2名
ご参加ありがとうございました。
自己紹介、ルール説明、問い出し、対話の流れで行いました。
<問い出し>
1.安心感と安心はどちらも心に関することだが同じなのか
2.安全あっての安心のはずだが安心安全と言われることが多い。安心が先なのはなぜか
3.安心かつ安全、安心だけど安全ではない、安全だけど安心ではないものはあるか
4.コロナ禍で安心と安全が必要だとみんな思っているが個々のそれは異なる。代表となる人が掲げるものも異なる・・・どういうことか
5.新しいワクチンは有効性がある。自分は受けるが不安に思う人もいるのはどうしてか
6.安全、安心が両方求められるのはなぜか
7.絶対の安全はあるのか
8.不安や恐怖に対して対策を考える人と押しつぶされて何もできなくなるい人がいるのはなぜ?
9.車に乗るのは怖くなくて飛行機に乗るのは怖い人がいるのはなぜか
<対話>
絶対安全はあるのか?
・絶対安全はないだろう
・安全は客観、安全は主観
・安全は人間がつくったもの
・交通安全、医療安全 ルールが基準
・安全色
・自分たちが作ったもの 想像が働く範囲のもの
・安心が得られない人に安全なものを与えても受け入れられない。逆に安全ではないものも安心と思う人には安全
・心、メンタルの中では絶対安全はある
・白紙、自分にとっては何に使ってもいい安全なもの 無害なもの。人によっては線がないと不安なひともいるのでは
・定位置 整頓されていると不安 いないと不安 いつも同じとは限らない
・いつもと一緒だと安心
・ルーティンが変わる 負荷が増える ストレスになる
・綱渡りやスカイダイビングを安全だという人もいるが安全ではないという人もいる
・経験がない人は安全だと言えない
・安全の反対は危険なのか
・「不安」
・「安全じゃない」
・安全はない
・安全は理想のものだから対義語はない
・経験が安心の材料
・不安を解消するための対処法
・次善の策や準備があること
・守らなければならないものが守れれば安全
・社会としての安全と個人の安全がある
・戦争ー沖縄基地 非常事態宣言ーロックダウン
・学校の中の安全 マスク 登校、給食
・新型インフルエンザは備えがなかったがワクチンが出来て安心になった
・利益と・・・
・安全は比較、相対的
・周りの状況次第 周りが安心していると自分も安心できる
・条件を付ければ絶対安全はありえる
・不安から別の何かに気をそらすことで不安を解消できるのか
・できない
・人に話を聞いてもらうとやわらぐ
・不安はうまれるという 安心はうまれるといわない 安心は得るもの?
・日本特有の言い回し?
・安心感はうまれる
安心と安心感はちがうのか?
・安心感はあるけど安心ではない時はどんな時?
・ずっと不安ではいられない ずっと不安でいると病気になってしまう
・不安にも慣れるようになっている
・慣れは怖い
・志村けんさんが死んだときは怖かったが今はそうでもなくなった
・都合のいい情報を得られるようになった
・悩みを聞いてもらう 聞いてもらっただけで何も変わらないのに安心感は得られる
・安心感はいつも通りでストレスのない状況
・想像力が強いと不安が増える
・運転 かもしれない運転
・知識があったほうが安心できる
・バランスかも
・安心感は植え付けられたもの
・安心感が強まると安心になる
・安心感はふわふわしたもの
・安心感は人からもらう
・食べたことがあるもの、乗ったことがあるものも不正や事故が発覚して安心安全が失われる
・変化があった時には安心はなくなるもの
・飛行機が怖いのは経験がないから
・整備とかもよくわからない
・車は自分でコントロールできるから安心
・自分だけルールを守っていても周りのせいで事故にあう
・飛行機は地に足がついていない
・一歩出られない人 何でを考えられない人 がんじがらめになる
・絶対安全になったら人間は成長できなくなる?しなくなる?
<主催者の気づき>
安全かどうかの基準は法律やルールで決められている。しかしその法律やルールは経済的な事情などが加味されているし最新情報をもとにしているわけではない。例えば農薬などの基準も人間への害を基準にしているが動物や微生物への影響は無視されていることも多い。人体へは無害でもミツバチに深刻なダメージを与える。薬なども説明書の注意事項が大量で文字も小さくなり実際には機能していない。電化製品などもしかり。
安全を確認するためのハードルが高いために結局安心を基準に判断してしまうこともある。例えば放射線については大量に浴びれば危険であるが自然界にも微量に存在していてどこから安全なのかはまだだれにもわからない。レントゲンと同じだから安全と言ったりするがレントゲンが安全である保障すらあやしいのである。新型コロナウィルスも全く未知のものであるから恐ろしい。恐ろしい状態を逃れたいから安心材料を求めてしまう。そこに過ちが生まれたとしても安心を優先してしまう。物を売る姿勢も安全よりも安心が優先されているので注意。安心の方が売れるからである。
安全は客観というがその視点は一つではない。何を守るか何が大事かでも変わってくる。
安心する力は適応力のひとつかもしれない。恐怖で身がすくんでしまえば生き残れない。しかし危機管理能力が麻痺してしまえば逆に命取りである。微妙なバランスがよいのだろうか?それは環境の変化次第であるから極端が悪いとは限らない。
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