ありがとうって何だろう?
2月9日『絵本と珈琲 松涛』(柏崎市)にてテツガクカフェを開催しました。
参加者は7名。はじめましての方が3名でした。ご参加ありがとうございました。
今回のテーマは ありがとうって何だろう?でした。
自己紹介の後、参加者に問いだしをしてもらいました。
<問い出し>
・ありがとうを返してもらえなかったとき不満を覚えるのはなぜか?
・心のこもっていないありがとうでも意味はあるか?
・買い物の時、お店の人がありがとうを言うのは当たり前か?
・いつごろからありがとうという言葉があったのか
・感謝との違い
・ありがとうのない国はあるのか?
・ありがとうでイライラさせることは出来るのか
スタートの問いは「心のこもっていないありがとうでも意味はあるか?」になりました。
初めて哲学カフェに参加される方のうち2名の方は何もわからずに誘われてついてきたということでしたので、今回は私の方で少しリードしながらやってみました。
まず、問いからさらに問いを立てて
「心のこもっていないありがとうが生まれる場面はどんな場面か?」を考えてもらいました。
<対話>
心のこもっていないありがとうが生まれる場面はどんな場面か?
・店員さんのありがとう
・日常的に言っている
・惰性で言っている
・マニュアルがあるから言っている
・納得していない時 嫌味半分で言う
・単なる返事 感謝の気持ちはなくちょっとした頼みをきいてくれたからする返事
〇〇とってとか
・強制されて言うありがとう
・自分でやろうと思っていたことをされた時にとりあえず言う
・AIが言う
・機械がプログラムで言う ネットショップなどのありがとうの表示
・これに着目している人はいるのか? ありがとうの表示がなかったら次は利用しないのか?
・アルバイトでレジを担っていた時、会話ができる人へはありがとうに気持ちがはいっていたが、要求しか言わない人には「ありがと~ございました~」と適当に言っていた。自分が未熟だった。
・クレーム対応の時、教えてくださりありがとうございますと言うとお客様の態度や口調が変わった。そういう風に教わり実際にそうだった。
・そのクレームは自分のミス?ほかの人のミス?
・ほかの人のミス
・店によって「ありがとうございます」というマニュアルのところと、「ありがとうございました」というマニュアルのところがある。どっちにしろ店で統一されていて形式的であることを余計に実感する。
・ありがとうがない店や店員は、商品やサービス自体にもユーザーへの配慮がないのではないかと思ってしまう?
・実際はそうなのか?ありがとうがないと商品やサービス自体も低レベルなのか?
・水商売をしていた時に、反社会的な組織のお客がきて、最初は普通のサービスを提供していただけだったが誘われて一緒に飲んだ。帰りに、子分さんたちがわざわざ奥にいた自分にお礼を言っていった。丁寧に感謝されてその仕事をしていてよかったと感じた。
お店の人のありがとうに心がこもっているかわかるか?
・わかる
ありがとうを言わない人にありがとうの気持ちがあるのがわかるか?
・思っていても口に出さないと伝わらない。
・道路工事の人や誘導員のお辞儀などはありがとうの言葉がなくても心のこもったありがとうと感じる。
・心のこもっていないありがとうでも、なければ「あそこの店員はありがとうも言わなくて感じが悪い、もう行かない、行きたくない」と人に言う。
・ありがとうは社会の潤滑油。社会とのつながりを作っている。本来の言葉の意味はなくなっている。日本特有の文化。
・外国では特に取引や買い物でありがとうを言わないところもある。
・親子でもこれだけやってありがとうもないと感じる。
・自分本位にありがとうを求める。
・ありがとうを求める自分がいる
・やって当たり前と思ってやっているほうは求めていない。例えば介護や保育の仕事など
・人による
・当たり前だと思っていやっていることでも、ありがとうをもらっているうちにもらうのが当たり前になるのではないか
・同じ人でも時と場合で変化するのではないか?
・提供した価値に不安がある時、ありがとうをもらっても素直に喜べない。道案内を求められたときに自信がないけど答えた時など。提供した価値に満足できるときは喜べる。
・商習慣
日本 買い手が偉い
中国など 売り手が偉い 店員のほうが売ってやっている お前が買わなくてもいいという態度
イスラム圏 値段を交渉で決める 相対
・日本はモノがあふれている
・デフレの要因
・中国は人が多くてモノがたらない
・日本はお金を有難がりすぎてお金を払うほうが偉い
・日本のお金は信用が高い?
・中国に日本のデパートや百貨店が進出した時、店員を教育するのがすごく大変だったらしい
・韓国でもかつては売り手が強かったが、今では消費者が圧倒的に強い。
日本でも病院やお寺、学校などは売り手が偉い。
・最近は病院で逆転していたりする。接遇
・おなじサービスを受けていても受け手の基準が違うから思うことも違う。
自分は介護施設で親を介護いてくれている人に十分ありがたいと思っていたが、東京かどこかから来た離れて暮らしている親族が「東京の介護施設はもっと良くしてくれる」と不満を言っていた。
・思っていても感謝していても言わなければ伝わらない。
・いただきますがない国がある ありがとうがない国は知る限りではない。
・いただきますは生き物の命に対して言っている。
・いただきますは食材を作ってくれた人、料理を作ってくれた人に言っている人もいる。
・太陽にありがとう
・朝日に拝む人がいる
・太陽が神様だから
・日本もアマテラスは太陽の神 仏教でも大日如来
・富士山でご来光などを拝んだことはある
・宗教の教えは学のない庶民に難しいことを言っても理解できないから納得できるようにする仕組みであることもある。朝日を浴びることが体のためになるから、早起きをして仕事をすることが社会的に有意であるから、朝日を拝みましょうというルールができたのではないか?
・自然に対してありがとうを言っている人を見ると狂っていると思う。
・雨や雪に対して拝んでいる人はいなそう。
・植物にありがとうと言ったり話しかけながら世話をするとよく育つ。お腹にありがとうと言いながらさすると元気になる
・諸説ある
・ありがとうの語源は仏教
目の見えない亀の話 人間として生まれたことはめったにないありがたいこと
・珍しいことがありがたいことなのか?
・珍しいことでもありがたくないこともある。大震災とか
・メラビアンの法則
言葉で通じるのはわずか 非言語コミュニケーションが大事
・ありがとうは形骸化している
・本当に感謝している時に使う新しい言葉ができるかもしれない
・それもまたありがとうと同じ運命をたどる
・アルバイトに仕事を教えるとき、心を込めてありがとうと言いましょうと教えていたが思っていないのに心を込めるも何もない。
・子供たちにどう教えるか
・ありがとうはお互いに気持ちよくなれるが、言うのが当たり前になればなかったことに対して不満を覚えて、プラスだけではなくマイナスを生んでいる。
・挨拶なども同じ
と、こんなところで時間になりました。
書き洩らしていることも結構ありそうなので思い出したら加筆します。
初めて参加した方も沢山発言されており、沢山考えていただけたようです。
問いから問いを出すというところまでは行かなかったので次回はそのへんがうまくできる工夫を入れたいです。
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